ファミリーヒストリー草刈正雄特別編と、わが亡父

昨年8月放送された、NHK「ファミリーヒストリー」で、これまで消息のわからなかった草刈正雄さんの父親が、10年前までアメリカで生きていたことが発覚し、「神回」と大反響を呼んだ。NHKという局には、問題点も山積みだが、スポンサーの顔色も気にすることなく、多額の費用をかけて、自由に番組を作れる強みが存分に発揮された番組だった。

そして、年末に「総集編」として、その後、草刈氏が、父方の親族に会いに行った様子が放送された。

 

何度か繰り返し見たけど、思ったのは、草刈さんは、お母様ともども、米兵だった父親に「捨てられた」以外の何物でもないということ。

戦地に赴いた兵士が、現地の女性と性関係になるのは戦時の習いである。そして、その結果、混血児が多数生まれるのもまた世の習い。日本兵だって、東南アジアに多数子孫を残している。

が、この場合、兵士の側は、真剣に子供を作ろうとして女性と交わったわけではない。うんと、汚い表現をするなら「やりにげ」である。草刈氏の父親も、少しでも草刈氏母子に愛情が残っていたなら、朝鮮戦争後、どんな手を使ってでも探し当て、自分が日本に住むなり、アメリカに連れて帰るなりしたはずだ。

それが、一生、日本での出来事を誰にも言わず死んでいったところを見ると、父親にとって、本当に、消し去りたい人生の汚点だったに違いない。

たまたま、草刈氏は、お母様に似ず、いかにもハーフらしい美貌を生かして、スター俳優になったから取り上げてもらえたわけで、それはよかったと思うが。生きている間に会えたら、とも思ったけど、そうなると、アメリカで結婚された夫人が傷つくだろうから、死んだあとの調査でよかったのかもしれない。

 

しかし、草刈氏のお母様は、まだ英語教育もきちんとしていない時代、どうやって米兵の父親とコミュニケーションをとっていたのだろう?私だっていまだ英語で苦労しているというのに。

そして、お母様はなぜ「父親は朝鮮戦争で死んだ」と草刈氏に話していたのだろうか。

草刈氏に、アメリカには異母弟妹はいないのだろううか。

 

 

私がこの番組にひどく興味を抱いた理由の一つが、自分の亡父とかぶるところがあるからだ。

私の亡祖母は、たびたび書いてきたけど、ほとんど狂人に近いの性格異常者であった。

「あんな婆さんとHした男なんて、よくいたものだね、一体どんな男だったんだ?」

というのが我が家の疑問であった。もちろん、当時はまだ「婆さん」じゃなく、盛りの付いた若き女だったわけだが、実際にどんな男だったか聞こうとしても、ギャーギャー泣き叫ぶので、誰も聞きだすことができなかったそうだ。もちろん、草刈氏同様、写真も1枚だって残っていなかった。

祖母の戸籍謄本をよく見ると、父が生まれて数か月後に入籍をし、その後すぐ離婚していることがわかった。

これこそ「やり逃げ」状態だ、と思ったが、祖父にとっては「やれやれ、とんでもないキチガイ女にひっかかっちまった」というところだったかもしれない。とりあえず、非嫡出子になるのだけは避けたようだ。従って、祖母と亡父は、苗字が違う。

 

亡父は、やはり、自分の父親がどんな男だったのか、写真だけでも見たい、と言っていた。亡父が変な父親だったのは、もしかして、自分自身が父親というものを知らずに育ってしまったせいかもしれない。

 

 

今日は、亡父の誕生日である。