最近、TVを見ていると、若い人たちが、何かを「すごい」と思ってほめるときにも、やたら、
「やばい、やばい」
と言うようになった。NHKさまですら、そのまま放送しているのだが、お化け屋敷から出てきた若い女性たちも、何かを食べて美味しいと思ったときも、みな、コメントが一様に「やばい」である。私の感覚だと、「やばい」は「危ない、やっかいなことになった」「状況がまずい」と言う時に使う形容詞であり、しかも、女性にはあまり使ってほしくない言葉であるが、いつごろから、美味しいものを食べても、何かポジティブな心情に導かれても「やばい」になったのであろう?
美味しいで必ず思い出すが、TVのグルメシーンで、非常に美味しいものが出てきたときは、「やばい」ほど品がなくはないが、タレントの皆さん、口をそろえて、
「めちゃめちゃ(or めちゃくちゃ)美味しい」
と叫ぶ。死んだ母はこの「めちゃめちゃ」が大嫌いだった。
「滅茶滅茶、というくらいだから、破壊されるような悪いことを言うんでしょ」
と、認知症になるまではよく腹を立てていた。
「全然大丈夫」
「全然いける」
「全然おいしい」
という「全然」を使うやつどもも、頭をハンマーでぼこぼこにしてやりたいくらい嫌いだ。そもそも「全然」は、否定形につながる副詞ではないのか。かの芥川龍之介も「全然大丈夫」を使っていたという説も聞いたが、やはり「全然」は「●●でない」と、否定につなげるのが望ましい。上記の「全然」を耳にしてしまった際には、わが脳内で瞬時に「問題なく」を挿入するようにしてイラ立ちを抑えているのだが、いまの時代、「全然」は「very」と同義になってしまったと思ってあきらめた方がいいのだろうか。
ああやっぱりいやだ。私のように、外国人に正しい日本語を教えなければならない立場の者には、「やばい」も「滅茶滅茶(滅茶苦茶)」も「全然大丈夫」も絶対教えたくない。
上記に比べたら、「ら抜き」の「来れる」「見れる」「着れる」の方がましだ。「来られる」「見られる」「着られる」は、可能形だけでなく、受身や尊敬の意味も兼ねてしまうので、「ら抜き」の方が混乱がない。ただ「食べれる」は幼く感じるなあ。